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波部本次郎と優良種子生産方式

2021.06.01
黒大豆の栽培
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

江戸時代、日置村の豪農大庄屋・波部六兵衛は、篠山藩4代藩主・青山忠裕公の命により黒大豆の品種改良に取り組みます。その子、本次郎(もとじろう)は、公営の採種組織がなかった時代に、品質維持や種苗増殖を行う原原種圃(げんげんしゅほ)、原種圃(げんしゅほ)を設け、採種体系を確立しました。

 

明治4年(1871)、特に優良な種子を「波部黒」と名付けて郡内の農家に配布し、栽培を奨励。同時に、北海道を始め各府県の農事試験場や、研究熱心な農家からの種子配布の要請にも応じました。また「波部黒」を内国勧業博覧会に出品し、明治23年(1890)に三等有功賞、明治28年(1895)には有功二等賞を受賞、宮内省お買い上げの栄誉を得ました。明治34年(1901)、波部本次郎は多紀郡農会初代会長に就任。丹波篠山地域の農業振興に取り組み、多紀郡農事試験場を設立しました。

 

黒大豆の多様な遺伝子源の中からの選抜育種は、藩から多紀郡農事試験場、県農事試験場へと引き継がれ、平成4年(1992)「丹波篠山市 丹波黒大豆優良種子生産協議会」の設立に至ります。原原種圃、原種圃の設置、採種農家27軒による種子生産など、官民一体の体制を整備し、毎年およそ7トンの優良種子を生産しています。