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江戸時代からの栽培面積

2021.03.26
黒大豆について
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

丹波篠山の黒大豆は、江戸時代中期の寛延年間以降(1748~)、年貢米の代替え作物として藩が奨励し、文政元年(1818)には、43haで栽培されていました。しかし明治維新以降、廃藩により納品先がなくなったことで栽培面積は減少。明治5年(1872)には、わずか1haになったといわれます。

 

この頃、日置地区の大庄屋であった波部本次郎が、優良な種子を「波部黒」と名付けて各所に配布。内国勧業博覧会への出品などで名声を博し、昭和2年(1927)、栽培面積は20haにまで回復しました。

 

ところが、米に比べ収益性が低いため、昭和35年(1960)には10haまで減少し、消滅の危機に直面しました。しかし、昭和46年(1971)から始まった減反政策のもと、江戸時代からの栽培技術が活かされ転作作物となったことで再び栽培面積が増加。令和元年(2019)現在では、枝豆を含めると777haで栽培されるようになりました。