SCROLL

正月に欠かせない黒大豆

2021.04.21
黒大豆の歴史
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

もともと、正月料理の主役は雑煮で、雑煮に添えられた肴が、江戸時代に重詰料理へと発展していきます。

江戸時代後期の文化年間(1804~1818)には、数の子・田作り・たたき牛蒡・煮豆を祝い肴として重詰めにするのが正月料理の通例だったようです。国学者・喜多村信節らによる随筆「嬉遊笑覧」(文政13年(1830))にも、座禅豆(黒大豆の煮豆)が定番だと書かれています。

 

明治時代後期になると、松竹梅にちなんだ梅花卵や松笠烏賊、きんとんや厚焼き玉子など、品数も増え、より華やかになりました。さらに、牛のタンや蠣料理といった洋食も加えられたといいます。重詰料理が豪華になっていくなかで、「まめに働く」「まめに暮らす」などの語呂合わせから、黒大豆の煮豆は「元気」「丈夫」「健康」を願う一品として定着しました。

 

江戸時代の重詰料理

「風流役者地顔五節句正月之図」(製作年不明) 国立国会図書館所蔵

 

「萬家日用惣菜俎」の正月料理(天保7年(1836)) 国文学研究資料館所蔵

一段目:かずのこ、二段目:ごまめ・たたき牛蒡(ごぼう)、

三段目:鮒昆布巻(ふなこぶまき)、四段目:かやく入り黒煮豆

※江戸時代は祝い肴の重詰めが基本でした。