Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会
昭和45年(1970)に減反政策、昭和53年(1978)に水田利用再編対策が始まり、米の作付面積の削減および、米に代わる作物の栽培が必要になりました。そこで篠山町では、伝統作物である黒大豆・山の芋を転作作物とし、特産振興をはかります。
一方で大都市に近い立地から、高度経済成長期(1954~1973頃)以降は、大阪や神戸に通勤する兼業農家が増加。平成30年(2018)の「丹波黒」の生産農家戸数は2,660戸で、そのおよそ80%は作付面積30アール未満の小規模農家あるいは兼業農家です。「丹波黒」はこれらの家族農業に支えられています。
昭和50年代(1975年~)には、兼業農家を主体とした生産組合を集落単位で組織化。この組合はあくまでも個々の農家が主体で、「機械の共同利用」「農地・農作業の調整、労働の補完」などによる各農家の生産性向上を目的としています。丹波篠山独特の営農組織であり、話し合い助け合う「堀作」から生まれた「協働の風土」が受け継がれています。