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聞き書き 細見俊昭さん

2024.03.28
語り部事業
Text by kuromame

丹波篠山市「農業遺産 語り部事業」_丹波黒大豆 栽培名人

だいたいこれぐらいやなかろか、というとこが大方わかった。この年になって。

丹波篠山の黒大豆栽培の歴史や栽培技術、独自の文化の継承を目指す「農業遺産 語り部事業」では、専門的な技能や知識、豊かな経験をお持ちの方々のリアルな声をお伝えしていきます。今回は、丹波黒大豆農家の細見俊昭さんに、これまでの黒枝豆栽培に関するエピソード、細見さんならではの創意工夫のポイントなどをお聞きしました。

丹波黒大豆 栽培名人丹波黒大豆農家

細見俊昭(ほそみとしあき)さん

1936(昭和11)年生まれ。生まれも育ちも、丹波篠山市(旧篠山町)の県守(あがたもり)。丹波黒大豆を地域内で転作作物として定着させ、一大産地としたリーダーとして活躍中。2001(平成13)年、全国豆類経営改善共励会 優秀賞受賞。2009(平成21)年、全国豆類経営改善共冷会 農林水産大臣賞受賞。2022(令和4)年、丹波篠山黒豆共励会優秀賞受賞。その他、受賞歴多数。

 

昔は、もうほとんどが山の芋を作ってはった。

細見俊昭(ほそみとしあき)です。今、87歳と6カ月。生まれたときから県守(あがたもり)で、戒名で勘定したら、8代目くらいやなと思うんです。

黒豆は、この辺ではあんまりようけは作らへん。家庭用に、田んぼの端のほうに作りよったぐらいで。私が高等学校か中学校くらいの時分は、もうほとんどが山の芋を作ってはった。耕作面積の約1割。田んぼの多い人は1割を割るし、田んぼが少ない人は1割からになるさかいに、田んぼの都合によるけどね。堀り上げいうて、稲作らんと、うね上げて山の芋を作ったり、スイカ作ったり。

その時分は、山の芋を作る家があっちゃこっちゃ、おりよってでしたわ。こんな丸っこいころっとした芋、わしも作ったけどなあ。高等学校卒業して3〜4年…もっとか。減反政策始まるまでは作っとった。

山の芋は、手間いりますねん。ごっつう手仕事が多いというか。藁敷いてね、全部せんならんさかい。豆のほうが割合、手間少ない。1970年頃に減反やれ、と。米が多なって、作らんといてくれと政府が言うたんです。その時分から、豆を作れと。

それで役場も農協も、黒豆に力を入れてくれるし、それでわしらも。作らなんだらあかんと政府のほうで言われるので、減反を何%、耕作面積の何%って。一番多いときは、3割超してましたよ。私、その時分に、黒豆は1町4反なんぼか作りましたで。いかに手を抜くか、ということを考えつつ(笑)。

 

ああやない、こうやない、いろいろ考えて。

自作の支柱。菊の種子・苗屋さんの支柱から、ひらめいて。

黒豆は、畝を高うせなあかんのんと、「土(つち)かい」(※注:培土、篠山では「土寄せ」ともいう)をようけせなあかん、高うせなあかん。なかなか難しいんでっせ。高畝上げて、豆植えといて、ほいでまたそこんとこに…なかなか口で言うのは難しい(笑)。高畝すんのには、土が横

へはねるロータリーを買うて。それから、畝の間へ入る、管理機用のちんこいトラクターがあるんですわ。それで爪の形式やとか配列の順番を、ああやない、こうやない、いろいろ考えて、具合よう土が豆にかぶさるように。

農協や普及所の指導では、黒豆の立ち枯れ予防にZボルドーとか、予防の薬をやれ、言うてんですわ。私はZボルドーやら、(肥料の)ホスプラス、やったことない。みんないろいろ考えてやりよってやけど。ペットボトルのふたにチュッと2つか3つほど、細い細い、ちっさい穴開けて、プシュップシュッと出るように、そういうこと考えたった人もあったけど、わしはそんなこと一切考えんで、やらへんもんやさかいね。今もやらんと、おかげで済んどりますねん。手え抜くばっか(笑)。

これ支柱ね。鉄筋を卸屋さんで買うてきて、長さ決めておいて、ギューッとやったら、曲がりますねん。金物屋へ行ったら、そういう道具がありまんねん。

ナイロンは(価格が)安いけれど伸びていきよる。あんまりこれはええないな思うて針金で。針金も、扱いが難しいんですわ。ねじれたら、すぽっと切れますねん。ねじれんように、この一輪車のコマのタイヤ取ったやつにちょっと加工して、回すとこ付けて。それで針金を巻いたり、ほどいたりしますんや。よう考えてありますけどな、これは菊の種子・苗屋さんの受け売り、菊作りの支柱を真似した。とにかく手え抜かな、あかんさかい(笑)。

 

芽ちょぼちょぼ植えとったんでは、なかなかね。

奥様が豆を選る様子を見守る。

黒豆は、いっぺん大きくなりかけて立ち枯れにならへんだら、あとは虫の予防っていうんか、消毒が主です。初めのうち苦労したんは、発芽ですわ。なかなか、うまいこといかしまへんねん。ようけ蒔いておいて、あかんやつをようけこしらえたら、苗がいけますねん。100の中で1割いうたら10本やけど、1,000本の中で1割いうたら100本あるさかいね。量でいったらいけるんやけど、それでは種代もかなわんさかいに。

この頃は、ポット苗やね。苗箱に一杯で128本入るんやけども、その苗がまたなかなか発芽が難しいとこがあって。揃わすっていうのが、いろいろ苦労してる。いっときに植えんなんだらね。芽ちょぼちょぼ植えとったんでは、なかなかね。

昔はね、少々遅れても、早かっても、今みたいに揃えて発芽させて、それで収穫時におんなじみたいな、そういう機械的なことっちゅうか、そない気にせんでもよかったです。ちょこっとのもんやさかいに、そんなにせえでもよかったけど、今はとにかく機械化で。例えば、培土を機械でしようと思ったら、苗に土がかぶさってしまうし。できたらこれぐらいまでとかいう長さ、大きさがあるさかいに、できるだけそれに揃えたいですわな。機械化っちゅうことで。

ポット苗の芽を揃えておっきいするっちゅうことを、このごろにようやく、だいたいこれぐらいやなかろか、というとこが大方わかったみたいな具合。この年になってから。

 

なんでもやけどね、経験ですな。

うちね、京都の「輪の花」いう療育作業所(障害者就労継続支援施設)から、種をまきに来てもうたり、ほれから葉取りに来てもうたり、だいぶ世話になるんですわ。

作業に来る方は、1人で判断することが苦手だったり、人によっていろいろ難しいところがある。そこんとこをどういう風にしゅっとできるか、っていうことを思てます。軸から葉が出てまっしゃろ。広いのが3枚ついとんのやけど、ここんとこの柔らかい、広いとこだけギシギシとしごいてもうたらよいというて、世話になりよんのですわ。豆を蒔くのも、その人らに蒔いてもらう。来てもらうようになって、もうだいぶ長いことなりますわ。ありがたい思てます。

これはひょっとしたら、わしの考えだけやけど、豆が芽出すんには、空気がいるんかなあと。私の勘ですわ。それから「パオパオ」いうのあるの知っとってやと思うんやけどね、寒冷紗(農作物を守るためのネット)の薄いようなもんです。それをかけて、その上から太陽シートかけたら、芽がわりあい出て。そいであわててフタ取ったら、ぷくっと膨れるんですわ、土の中で。ほで、太陽シート取ったら、根が出て、上がってきて、ほでバッと開く。ところが、これが上がらへんやつがあんねやね。なんでやろな思いよって。この頃は、だいたい全部1㎝ぐらい豆葉をぐっと上がるまで取らんと、置いとくようにしとる。ほいたら、わりあい揃うてくれるみたいなとこがある。このごろはそんなことに気がついたというか。なんでもやけどね、経験ですな。続けるいうたら、そういういろいろな失敗が成功っちぅんか、上手になっていくもとやと思いますわ。

 

百姓は、一生勉強です。そればっかりですわ。

トラクターをはじめ、よく手入れされた愛機が並ぶ。

百姓は、一生勉強ですわ。今年(2023年)は豆は不作でした。なんていうか、高温でね。それも勉強になった。わしら作るもんにしたら、どないしよう、水あてようか、植えるんを遅らすんか。まだわからしまへんで。遅らそか、あるいは肥料のやり方を、今までやりよった方法を違う方法にするとか、それはいろいろあるやろと思うけど。もう百姓は、一生勉強です。

トラクターかてね、違うの買うたら、もう違うんですさかい。新しい装置が付いてきて、もう大変ですわ。年が寄ったら特に精一杯で、いけたらええけど、いけへんときがある(笑)。トラクターかて、鋤きよんなと思て前ばっかり一生懸命見ていきようけど、後ろ見たらなんにも鋤けてない。「なんじゃ、これ」みたいな(笑)。ここもっぺんやらんと(笑)、そんないろいろありますわ。そういうことですわ。一生そればっかりですわ。

 

 

1ぺん、2へんほどで済む、なまくらなことを考えまして(笑)。

ご自宅にて。

もう一つ、わしの自慢やけど。豆を作っとる圃場(ほじょう)の中には、軽四の収穫物を運ぶトラックが入らしまへん。ほで、みんな道の端まで一輪車やとかなんやかやで出してんやけども、わしはトラクターに乗せるパレットのちょっとしたもんをこしらえた。田んぼでそれにトラクターをそーっと行きもって、駐めて、それに積む。そのままずっと作業場に持って帰って、ちょっと足をひっかけるようにして作業場の中に置いて、乾燥機に入れるようにしてる。

またそれを、ほんまのおもちゃみたいなリフト、手動のあれで、乾燥機の入り口まで持ってって、乾燥機に詰めるようにしましてん。みんな、田んぼの端で1回下ろして積んで、持って帰って、また作業場の中で下ろして積んで、それをまた乾燥機の入り口まで持ってって詰めて。5へんか6ぺんほど積んだり下ろしたりせなんのを、私は田んぼで1回積みまっしゃろ、それをそのまま乾燥機入り口に持って行って、1ぺん、2へんほどで済むと。そういう、なまくらなことを考えまして(笑)。

 

やっぱし砂地のところでできた黒豆は、おいしい。

奥様お手製の黒豆をごちそうになりました。

枝豆で、あっちゃこっちゃのを食べてみるやっぱし砂地のところでできた豆は、おいしいように思いますな。なんやしらんけど、みんなに聞いても、やっぱりうまい言うて。茹で豆、ちょっとよう茹でてね、こうして食べたら、おいしいように思います。

県守(あがたもり)の谷は、ほんまかうそか知らんけど、山の高いとこの谷は、わりあいに普通のとこは砂地が多いって。なんでやいうたら、山が高うて、山の面積が多いさかいに、雨が降ったら水がようけ流れてくる。ということは、泥を逃がして砂が残っとる、みたいな話は聞いたことある。うそかほんまか知らんで。普通のとこはだいたい山の低いとこは「泥田(どた)」、山の高いとこは砂地。それから篠山は広う見たら、わりあいに「どた」が多いちゅうか、汁田(しるた)というか、水が引きにくい田んぼが多い。

わしらが見るのはな、瓦屋があるかどうか。粘土が出るさかいに瓦をしてやろ?ちゅうことは、田んぼが汁田みたいな粘土質やっていうこと。昔、あそこに瓦屋があった。ほんなら、この辺は粘土質やなあと思って見ます。

 

 

*聞き書き…2024年1月19日/細見邸にて
*聞き手:二階堂薫(コピーライター)