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丹波篠山の黒大豆をもとにした品種育成

2021.06.01
黒大豆について
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

丹波篠山地域の黒大豆は、大粒化という目標に沿った優良種子の選抜を何世代も繰り返し、育種されてきました。多様な在来種の存在によって可能になるこの系統選抜で生まれたのが、「丹波黒」の優良3系統である「川北黒大豆」「波部黒」「兵系黒3号」です。

 

現在では様々な品種改良の方法が研究され、「いわいくろ(北海道)」、「ヒカリグロ(青森県)」、「新丹波黒(京都府)」、「紫ずきん(枝豆品種/京都府)」、「香川黒1号(香川県)」、「クロダマル(大分県・福岡県・熊本県)」など、それぞれの地域で新しい黒大豆品種が生まれました。※(  )内は主な生産地域

 

日本の主要な黒大豆や黒枝豆は、丹波篠山地域の黒大豆を起源として品種改良されたものであり、このことは兵庫県による遺伝子解析で明らかになっています。丹波篠山で育まれた「丹波黒」は全国に広がり、黒大豆の品質の向上に貢献しているのです。

 

 

 

わち刈りと灰小屋

2021.03.26
黒大豆の歴史
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

丹波篠山では、里山のあちらこちらに「灰小屋(はいごや、はんや)」と呼ばれる奥行1間(180cm)程度の内壁を土や漆喰で固めた小屋を見つけることができます。

 

「灰小屋」の中で、枯れ木や落葉、藁、枯草などを焼き、それを灰肥料として利用します。灰肥料に含まれるカルシウム成分によって、大豆の茎疫病の発生が20%以上抑制される、収量が10~20%上昇する、といった効果が報告されています。この灰肥料は、江戸時代には家畜の残滓とともに貴重な肥料でした。丹波篠山には、今でも90か所以上の「灰小屋」が残されています。

 

「灰小屋」で燃やされる枯れ木や落葉、枯草は、藩直轄の山林からの払い下げのほか、「わち刈り」でも入手していました。「わち」とは農地と里山との境界部分のことで、隣接する農地の所有者が草木や落葉を採取できる「わち刈り」の権利を持っていました。木草を使用しなくなった今日でも「わち」は管理され、「灰小屋」とともに里山の景観を形成しています。

 

 

正月に欠かせない黒大豆

2021.04.21
黒大豆の歴史
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

もともと、正月料理の主役は雑煮で、雑煮に添えられた肴が、江戸時代に重詰料理へと発展していきます。

江戸時代後期の文化年間(1804~1818)には、数の子・田作り・たたき牛蒡・煮豆を祝い肴として重詰めにするのが正月料理の通例だったようです。国学者・喜多村信節らによる随筆「嬉遊笑覧」(文政13年(1830))にも、座禅豆(黒大豆の煮豆)が定番だと書かれています。

 

明治時代後期になると、松竹梅にちなんだ梅花卵や松笠烏賊、きんとんや厚焼き玉子など、品数も増え、より華やかになりました。さらに、牛のタンや蠣料理といった洋食も加えられたといいます。重詰料理が豪華になっていくなかで、「まめに働く」「まめに暮らす」などの語呂合わせから、黒大豆の煮豆は「元気」「丈夫」「健康」を願う一品として定着しました。

 

江戸時代の重詰料理

「風流役者地顔五節句正月之図」(製作年不明) 国立国会図書館所蔵

 

「萬家日用惣菜俎」の正月料理(天保7年(1836)) 国文学研究資料館所蔵

一段目:かずのこ、二段目:ごまめ・たたき牛蒡(ごぼう)、

三段目:鮒昆布巻(ふなこぶまき)、四段目:かやく入り黒煮豆

※江戸時代は祝い肴の重詰めが基本でした。

わち刈りと灰小屋

2021.03.26
黒大豆の歴史
Text by 丹波篠山市農業遺産推進協議会

丹波篠山では、里山のあちらこちらに「灰小屋(はいごや、はんや)」と呼ばれる奥行1間(180cm)程度の内壁を土や漆喰で固めた小屋を見つけることができます。

 

「灰小屋」の中で、枯れ木や落葉、藁、枯草などを焼き、それを灰肥料として利用します。灰肥料に含まれるカルシウム成分によって、大豆の茎疫病の発生が20%以上抑制される、収量が10~20%上昇する、といった効果が報告されています。この灰肥料は、江戸時代には家畜の残滓とともに貴重な肥料でした。丹波篠山には、今でも90か所以上の「灰小屋」が残されています。

 

「灰小屋」で燃やされる枯れ木や落葉、枯草は、藩直轄の山林からの払い下げのほか、「わち刈り」でも入手していました。「わち」とは農地と里山との境界部分のことで、隣接する農地の所有者が草木や落葉を採取できる「わち刈り」の権利を持っていました。木草を使用しなくなった今日でも「わち」は管理され、「灰小屋」とともに里山の景観を形成しています。